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​最新情報

皆さん突然ですが、ラブ・キャナル事件というのはご存知ですか?え、ラブキャンドル事件?いえいえ違いますよ、ラブ・キャナル事件です。(笑)

おそらく多くの人が知らないのではないかと思います。


ラブ・キャナル事件とは1970年代後半、アメリカのニューヨーク州ナイアガラ・フォールズ市のラブ・キャナルにおいて、過去に投棄された廃棄物による地下水や土壌の汚染により周辺住民に健康被害が相次いだ事件です。

流産や奇形児、ガン患者が増加し、何百人にもわたる人の健康を脅かしました。

なんだか怖い話ですね…

なぜこのようなことになったのか。原因は長年に渡った化学薬品を含む投棄でした。

当時(1920年代)、ラブ・キャナルは都市ゴミの投棄場所になっていました。そのため地元のメーカーは化学物質を含む廃棄物を、ラブ・キャナル運河に約10年の間投棄していたのです。その結果、運河が埋め立てられ人々が住むようになってしばらく経った時(1970年代後半)、水質汚濁や土壌汚染の問題が表面化したのです。

この事件からわかるように、適切に処理されなかったゴミは環境に影響を与え、そこに住む私たちの健康までも脅かすものになります。当時は合法であったり、化学薬品を含んでいたり量が多かったりと、今の不法投棄とは少し背景が違うかもしれませんが、ゴミの投棄が環境に影響を与えることは明らかです。


また、タイヤや木くず等の可燃性の廃棄物が集まっているところでは、火事が起こったり、廃棄物に含まれる有機性成分が腐敗することによって硫化水素やアンモニアが発生し、悪臭になったりすることもあります。

(※硫化水素は腐った卵のような匂い。

  アンモニアは清掃が行き届いてないトイレのような匂い。)

そして皆さんが嫌いな蚊。蚊は水たまりに産卵するので、このような不法投棄されたものに溜まった水が大好物なのです。つまり、不法投棄は蚊の大量発生にも繋がるということですね。



ここまでの話で何か印象に残った話はありましたでしょうか?

ゴミは何のために適切な処理がされるのか、自然と私たち人間はどう向き合わなければならないか、考えるきっかけになれば幸いです。

それでは皆様、良いお年をお迎えください!!




BYEゴミプロジェクト主要役員

鈴蘭




参考文献

更新日:2023年4月5日

夏の残暑も過ぎ、秋雨と虫の音に包まれる今日この頃。

皆様はいかがお過ごしでしょうか。

今回は「ゴミ問題と歴史」というテーマで解説して行こうと思います。



なぜ歴史を見るのか

なぜゴミ問題がテーマなのに、歴史を見るのか疑問に思う人もいるだろう。歴史は私たち人類の記録であり、そこには多くの学ぶべきことがあると言える。「歴史は繰り返す」という言葉があるように、今の問題は遥か昔の先人たちも頭を悩ませていたことも少なくない。例えば、江戸時代に少子化問題に取り組み、積極的に縁談を進めた幕府から、少子化の問題性とその対策を覗けるように、一見関係が薄そうに見えるゴミ問題も、歴史というレンズを通すことで、新しい角度で眺め、より深掘りすることができるだろう。次の「ゴミ問題の起源と考察」の章で詳しく触れるが、ゴミ問題は私たちの文明と同じくらい古い歴史を持ち、この問題を解決することはヒトという種の行動を変える事に等しいと言っても過言ではないかもしれない。この記事では、歴史という視点を通して、私たちが挑むべきゴミ問題がどのようなものなのかを深掘りしていきたい。



ゴミ問題の起源と考察

ゴミ問題の起源はどこにあるのだろうか。それは、遥か昔に起こった人類の生活の変化に見出すことができるのかもしれない。その一つが移動生活から定住生活への変化である。私たちの先祖は、様々な場所を転々しながら暮らす、移動生活を行っていた。移動生活社会では、周りの資源が底を尽きたら新天地へ移動し、生活で出る廃棄物などは、そのまま捨ててしまっても、自分たちの生活環境に支障をきたすことは無かった。しかし、一箇所に留まって暮らす定住生活になると状況は変わってくる。定住生活社会では、移動ができないため、周辺の限られた資源の中で生存する必要がある。その結果、資源管理や食糧生産ができる農耕などを行う必要に駆られ、廃棄物も自分たちの生活する地域に捨てることで衛生的な問題が発生するようになった。これが、恐らく最も古いゴミ問題の起源だろう。後に貝塚などの集落単位のゴミ捨て場が作られるようになり、これは人類が廃棄物に対して、最初に行った政策だったのではないだろうか。定住生活をする段階から、人類は農耕を始めて文明を発展させることになった。それと同時期に発生して、現在まで対策を続けてきたゴミ問題は、長い間移動生活を続けてきた、私たちの本能への挑戦とも言えるのかもしれない。


ヨーロッパ都市におけるゴミ問題

では、具体的にゴミによってどのような問題が発生していたのだろうか。時代が飛ぶが、その答えの一つとなるのが19世紀頃のパリの状態である。当時のパリ市民たちは、窓から道にあらゆるゴミや排泄物などをポイ捨てしていた。道は中央に向けて傾斜しており、雨などでゴミが流れるように作られていたが、ほとんど機能することはなく、都市にはゴミが山のように溢れかえり、河川はゴミによって汚染され、酷い悪臭に見舞われていたという。余談だが、香水はこの時代に悪臭を誤魔化すために発達し、ハイヒールは汚れた道を歩くために使われていたのだそうだ。そのゴミを含めた衛生環境の悪化により、住民たちの間ではコレラなどの疫病が流行し、多数の死者を出す結果となってしまう。パリだけに限らず、ヨーロッパの都市の多くでは、このようなゴミ問題が発生していたと言われている。パリでは後に上下水道の整備やコレラ問題を背景としたパリ大改造と呼ばれる都市の改造計画により、衛生問題は解消していった。ヨーロッパの諸都市がゴミ問題や衛生問題を解決していった一方で次は日本の状況に目を向けてみたいと思う。


日本のゴミ問題の歴史

日本で最初の百万都市、江戸は高度なリサイクルと廃棄システムが発達した都市であった。それは、都市に人口が密集したことにより発生したゴミの不法投棄を政策によって解決しようとした徳川幕府の取り組みと国内の乏しい資源を無駄なく使うように発展した社会構造の結果と言えるだろう。前回の記事でも述べたが、ゴミが価値のある資源として介在していた文明は当時、世界的にも珍しいのではないかと感じる。そして江戸が終わり、明治になると公衆衛生を背景として『汚物掃除法』という法律が制定されることになる。この法律により、ゴミの廃棄は行政の管轄に託されることになる。ゴミは「なるべく焼却すべし」とされており、焼却炉が普及していなかった当時は野焼きが主な廃棄方法となった。そして、戦後は東京オリンピックにより、大量消費社会が到来し、高度経済期と都市への人口の一極集中も相まって、ゴミ問題とその公害が深刻化した。1950年代にはイタイイタイ病や水俣病などの公害による病気が発生し、社会問題となる。後に公害を含めた様々な問題を受けて​​1970年に『廃棄物の処理及び清掃に関する法律』の公布や様々なリサイクル法などが制定により、ゴミや公害はより厳格に定められていった。


現在の法的な定義

ここでは、現在のポイ捨ての法的な定義を書こう。現在におけるポイ捨てとは、公共的な道端などのゴミを捨ててはならない場所にゴミを廃棄する行為である。日本においてのポイ捨ての法的な定義は『廃棄物の処理及び清掃に関する法律』で第16条により「何人も、みだりに廃棄物を捨ててはならない」とされており、その罰則については第25条第14号に「第16条に違反した者は5年以下の懲役もしくは1000万円以下の罰金、またはこれを併科する」とされ、違法な行為となっている。



ゴミ問題のこれから

今までのゴミ問題は衛生問題と深く関わってきたが、現在では異なる危機に晒されている。それは、ゴミが生分解性では無くなったことだ。その中には、何百年にも渡り影響が残る放射線廃棄物や400年から1000年は分解されないプラスチックなど高い危険性を持つものも少なくない。開発途上国では先進国からのゴミに苦しみ、2050年には海洋に流れ出したプラスチックは魚の量を超えるのだという。私たちの「捨てる」という本能によって、外に追いやったゴミは、今や人類の存続さえ脅かしそうになっている。だが希望もある。それは、私たちが捨てることもあれば、拾うことも出来るからである。ゴミ拾いは私たち自身の問題を克服する行為だろう。また、ゴミ問題の悲惨な歴史を繰り返してはならない。



BYEゴミプロジェクト役員

松田龍之介



画像引用元




参考文献


出典:國分功一郎(2015年3月7日)『暇と退屈の倫理学 増補新版』太田出版



参考サイトリンク


・日本の廃棄物処理と歴史と現状-環境省





更新日:2023年1月30日

はじめに


 突然ですが、みなさんは道を歩いていてゴミを見かけたことはありませんか? 

 私(筆者)自身はたばこの吸い殻やペットボトルを頻繁に見かけますし、おそらくほとんどの方は見たことがあるでしょう。道にゴミが落ちている状況は多くの人にとっては当たり前で、道に落ちたゴミは日常の風景に溶け込んでいるような気さえします。

 でも、よく考えてみたらこの状況って大分不思議じゃありませんか。

 だってゴミは意思を持たないモノですから、魔法のように突然道路に出現したり、自らゴミ箱から飛び出してそこに移動したりすることは普通に考えればありえません。それなのに道にゴミが落ちているということは、「何か」がその場所までゴミを運んでいるわけです。その「何か」には様々なもの(例えば、風や雨といった自然現象や野生動物など)が考えられますが、1つに私たちの「ポイ捨て」行為があげられます。ポイ捨てをすることによって、道にゴミが落ちている状況が生まれるということですね。

 他方、日本においてポイ捨ては「廃棄物の処理及び清掃に関する法律(第16条、第25条第14号、第32条第1号)」「軽犯罪法(第1条第27号)」「道路法(第43条第1・2号)」など複数の法律で禁止されている行為で、懲役や罰金などの罰則も規定されています。

 それなのに、なぜ「ポイ捨て」という行為は無くならないのでしょうか。どうして「ポイ捨てゴミ」は常に観察されるのでしょうか。

 前置きが大分長くなりましたが、この記事では主に社会学の考え方を用いながら(一部、心理学の考え方も使っています)、私なりに「ポイ捨てが無くならない理由」を考察しています。初めて耳にするような言葉も登場すると思いますが、分かりやすく説明するよう心がけているので、最後までお付き合いいただけると幸いです。



「社会」を考える学問


 そもそも社会学とは何でしょうか。「学」と付いていることから、学問の1つであることは推測できそうですね。数学だったら「数」、心理学であれば「私たちの心の動き=心理」を扱う学問であるように、社会学は「社会」について考える学問です。もう少し正確にいうと、私たちが生きる社会全体のことだけではなく、私たちの「行為」や身の回りの様々な「現象」も研究の対象となっています。社会学が生まれたのは19世紀初頭と比較的最近ではありますが、既に様々な考え方や理論が誕生しています。

 ここから先は、イギリスの社会学者であるアンソニー・ギデンズが提唱した「構造化理論」を取り上げながら、私たちの「ポイ捨て行為」、さらには「道にポイ捨てゴミが落ちている現象」を分析していきます。



「構造化理論」の話


 ギデンズは、私たちの行為における意図せざる結果に注目しました。「意図せざる結果」とは、私たちの行為が意図する結果「以外」にもたらされる結果のことです。

 例えば、部屋の温度を下げるために冷房をつけたら風邪を引いてしまったとしましょう。このとき、冷房をつけるという「行為」によって2つの「結果」が生じています。1つは、部屋の温度が下がること。この結果は意図したもの(部屋の温度を下げる目的で冷房をつけていますよね!)であるため「意図した結果」と呼ばれます。もう1つの結果は、風邪を引くことです。普通、風邪を引くために冷房はつけないので、これは本来意図した結果ではありません。こうした私たちの意図・目的・想定と異なる結果のことは「意図せざる結果」と呼ばれます。


 「意図せざる結果」は私たちの行為一般について想定できるもの、つまり、どのような行為も「意図せざる結果」を生み出していると言われています。ここで1つ重要なのは、意図せざる結果は私たちの行為そのものが生み出すのではなくて、様々な環境や背景によって生まれることです。そのため、意図せざる結果を考える上では、その人が「どのような条件(環境や背景)の下で行為を選択したか」も考える必要があります。この「条件」に関してギデンズは、私たちの行為が生み出す意図せざる結果が、意図せざる結果を生み出す条件に等しいか、少なくともその条件の一部を形成する場合について深く考えました。このことをもう少し詳しく説明しましょう。

 「ある条件」(条件Aとしましょう)の下に行われた行為が、何らかの「意図せざる結果」を生み出すとします。この結果が「条件A」と同じか「条件A」の一部である場合、同じような「意図せざる結果」が生まれてしまいます。これは「条件A」のことですから、行為を行うとまたしても「意図せざる結果」が生まれます。というように、「意図せざる結果」が行為の「条件」となり、ある行為を行うたびに同じような「意図せざる結果」が生まれ続けるという、いわばループ現象が観察されることになるわけです。


 ギデンズは「行為を巡る様々な条件(環境や背景)」と「意図せざる結果」をまとめて「構造」と名付けました。この「構造」はそれ自身で存在することは決してなく、行為をする私たち(主体といいます)と行為があって、はじめて存在が確認できるものだといいます。

 ここまで、ギデンズの考えを順を追って説明してきました。少し複雑になってしまったので、一度内容をまとめましょう。最初に説明したように、私たちの「行為」は意図した結果以外に「意図せざる結果」を生み出しています。それが、最初の行為と同じ「条件」(もしくは、条件の一部)となることで、またしても同じような「意図せざる結果」が生まれてしまいます。このような「行為と結果」「主体と構造」の循環構造の関係性が一般的に成り立っていることを主張する考え方こそが、ギデンズの提唱した「構造化理論」なのです。

 ここからは、ポイ捨てに関するアンケートとこれまでに見てきた「構造化理論」から、ポイ捨てが無くならない理由を考えてみることにします。



アンケートと「構造化理論」


 株式会社NEXERがとったアンケート(回答者総数は1890人)によると、直近一年以内に「ポイ捨て」をしたことがあると答えた人は8.9%(161人)で、ポイ捨てをする理由を尋ねた設問には「ゴミを捨てる場所がない」「ゴミが手元にあるのがいやだから」といった回答が寄せられました。ここから分かるのは、個人によってポイ捨てをする理由は異なるということです。それぞれが別の意図をもってポイ捨てという行為を選択していることが窺えます。

 アンケートでは、一年以内にポイ捨てをしたと答えた人に「街中や山・川の中などにゴミがポイ捨てされている状況に対してどう思いますか」という質問もしています。そこでは、なんと80.7%もの人が「不快である」と回答しています。要するに、ポイ捨てをする人たちの大半は「自らの行為がポイ捨てゴミのある環境を生み出している」にも関わらず、それを快く思っていないということです。


 ちょっと脱線しますが、精神分析の大家であるフロイトが提唱したものに快感原則があります。この原則は、「『不快を避け、快を得ることを目標とする』人間の心的反応形式 *1」のことで、私たちは心理的に不快に感じることを避ける傾向があるといいます。この考え方に従えば、不快だと感じること(ポイ捨てゴミが落ちている環境)のために、わざわざポイ捨てなどするはずがありません。言い換えれば、「ポイ捨て(行為)」によって生まれる「ゴミが落ちている環境(結果)」は、ポイ捨てをする人の意図するものではないということです。私たちのどんな行為も意図した結果以外に「意図せざる結果」を生みだすこと【前章参照】を鑑みると、ゴミが落ちている環境が生まれることはポイ捨て行為の「意図せざる結果」だといえるのではないでしょうか。

 また、先のアンケートでは、ポイ捨てをする理由に「すでにゴミが散らばっていたから」と答えている人(人たち)もいました。この人たちは、ゴミが散らばっているという「条件」のもとで「ポイ捨て」という行為を選択しているといえるでしょう。


*1:梅内幸信, 2012, 「快感原則と現実原則の彼岸へ」, 地域政策科学研究, 9:84, (https://core.ac.uk/download/pdf/144561848.pdf).



ポイ捨てが無くならない理由


 ここまで、主にギデンズの「構造化理論」からポイ捨て問題について考えてきました。分析から見えてきたのは、以下の3点です。


 ここに挙げた3点を一連の流れとして捉えてみましょう。まず、誰かが何らかの意図によって「ポイ捨て」を行います。すると、ポイ捨ての「意図せざる結果」として、図らずも「ゴミが落ちている環境」が生まれてしまいます【Point1】。この環境は、一部の人(ゴミが散らばっている環境で「ポイ捨て」を行う人たち)の行為の「条件」に合致するので、彼らのポイ捨て行為を誘発することになります【Point2】。この人が実際に「ポイ捨て」を行うと、またしても「ゴミが落ちている環境」が生まれるわけですよね。それがまたポイ捨ての「条件」になり、ポイ捨て(行為)が行われ、ポイ捨てゴミが落ちている環境(意図せざる結果)を生むことになる【Point3】、というように「ポイ捨て」と「ゴミが落ちている環境」が常時観察されることになるのです。

 もちろん、道にポイ捨てゴミがあるからといって全員がポイ捨てをするわけでありません。しかし、ポイ捨てゴミのある環境によって「ポイ捨て」をしてしまう人がいることも、また事実なのです。これこそが、初めに立てた2つの問い ーなぜ「ポイ捨て」という行為は無くならないのか・どうして「ポイ捨てゴミ」は常に観察されるのかー に対する私なりの考えです。ギデンズの「構造化理論」を用いることで、ポイ捨てゴミ問題に隠された「行為と結果の連鎖性」が見えてきたのではないでしょうか。



おわりに


 今回は、先人の叡智をお借りして「ポイ捨てゴミ問題」について分析していきました。

 この問題に限らず、様々な問題や課題の解決を目指すにあたっては「そもそもなぜ問題が発生するのか」「どうしてそれは『問題』なのか」というように問題自体を様々な角度から見つめてみることが重要だと思います。

 みなさんも、身近な問題や興味のある課題について、考えてみてはいかがでしょうか。

 きっと、問題解決の糸口が見えてくるはずです。



参考文献


〇井上俊・上野千鶴子・数土直紀 他, 1997, 「現代社会学の理論と方法」岩波書店.


〇株式会社NEXER,「【ポイ捨てをする人の8割は、ポイ捨てされている状況が不快!?】『ゴミ』についてのアンケート」, (https://www.value-press.com/pressrelease/221949).


〇鳥取県琴浦町ホームぺージ, 「不法投棄・ポイ捨ては犯罪です」, (https://www.town.kotoura.tottori.jp/).



BYEゴミプロジェクト役員

小野 佑真

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