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5月の豆知識「江戸のリサイクルについて」

徐々に日照時間が延び、ほのかに色づいた紫陽花が梅雨の訪れを予感させる今日この頃。

皆さんはいかがお過ごしだろうか。

今月は江戸のリサイクルについて解説してみたいと思う。


なぜ江戸なのか

江戸は当時、北京に並ぶ世界最大規模の都市であった。その人口は1837年には128万人にも達したと言われており、次いで人口が多かったロンドンの85万人より43万人も多くの人々が暮らしていたことになる。人口密度は、現代の東京よりも高く、1キロ平方あたり3万人も居た計算になるのだとか…。

だからと言って人々が窮屈で不自由な暮らしをしていたかと言われたらそういうわけではない。江戸人たちは錦絵や文学に親しみ、新鮮な魚介や地産の野菜に舌鼓を打った。大食い大会を開催したり、1日に何度も風呂に入ったりと、消費的な娯楽も生まれ、人々は大いに楽しんでいた。また、火事などの災害にあった後はとてつもない速度で都市を復興できる生産性を持ち、当時のオランダ商人の手記にその驚きが書かれている。そんな巨大で豊かな都市であるにも関わらず、江戸は今日の世界から見ると、持続可能な社会が形作られていたのだ。その理由は様々あるが、鎖国という状況の中、国内の乏しい資源を社会規模でリサイクルする仕組みが作られていたことがその一端をになっていたのだろうと私は思う。この記事では紙ゴミと浅草紙から江戸に栄えた持続可能性の一部を覗いてみたい。




「江戸絵図」(江戸は八百八町と言われたが、最終的には1600町を超えた)


江戸の紙ゴミ

まず、今日からすると興味深いことではあるが、江戸で紙ゴミが落ちていても拾ってはいけなかったと言われている。それは、紙ゴミを専門に拾い集めて生業とする「給集人」という人々が存在しており、紙ゴミを拾うことは彼らの収入を奪うことを意味したのだ。また、落ちている紙だけでなく、家で出た紙ゴミも「屑紙買い」という人々がお金を出して買い取っていた。屑紙買いは毎日のように街を回り、目方で紙の値を決めていた。なんと買い取る紙は使った後の鼻紙にも及んだという。彼らは集めた紙を立場と呼ばれる紙屑問屋に売って生計を立てていた。なぜ、紙ゴミがお金を介して取引される資源となったのだろうか。それは当時の紙作りの技術とリサイクルを可能にする仕組みにあった。



「四時交加」(左下のトングのようなものを持っている人が屑紙買い)


和紙のリサイクルと楮

当時、和紙の素材の80%近くを占めていたのは楮(こうぞ)という植物であった。少し余談ではあるが、洋紙の素材として使われるパルプなどの木と違い、楮は一年で更新できる農業作物だったため、大量生産は難しいものの、持続可能性という意味では理にかなっていたのだ。和紙は楮の長くて丈夫な繊維を水で漉き、乾かして作られていた。この楮の繊維の頑丈さが、和紙を漉き返してリサイクルすることが可能な資源にしていたのである。また、江戸人たちは紙がいくらリサイクルできたとしても、とても大切に扱ったとされる。文字書きの練習は紙が真っ黒になるまで行っていたと言われているし、紙ゴミを屑紙買いたちに売るのはちょっとしたお小遣い稼ぎとしても有効だったのだろう。和紙のリサイクルと楮について説明したところで、次はリサイクルによって作られていた浅草紙について解説する。





        

                   「造紙説」(楮を刈る様子と紙漉をする人)


浅草紙

現在でいう再生紙に近いもので、黒や灰色のものは主に鼻紙や落とし紙(トイレットペーパー)として、石灰で白くしたものは本の表紙などとして使われていた。

庶民が日常的に使う紙として親しまれており、名の由来は屑紙を浅草で漉き返して生産していたためである。そ

の生産高は、毎年十万両にも及んだといわれており、浅草の名産品であった。実は私たちがよく口にしている黒くて四角い乾燥海苔のルーツは、紙漉き技術の応用だと言われている。江戸の名産である「浅草海苔」に浅草の名がついたのもこれに由来した。また、当時の京都では西洞院紙、大阪では湊紙など江戸以外でも再生紙が生産されており、和紙の再生は全国的に主要な産業の一つだったのだろう。少し早足で進んでしまったが、以上で江戸時代の和紙のリサイクルの解説を終了とする。



「商牌雜集」(浅草海苔所 山形屋惣八の商標)


江戸に何を見出せるか

私が江戸に目を向けるようになったのは、江戸の持続可能性に惹かれたからである。鎖国の中、国内の乏しい資源を有効に、そして持続可能な形で活用して、江戸時代の人々は豊かで華々しく、それでいてどこか素朴な文化を築いていた。トイレの肥溜めは農民たちが買い取り、豊かな野菜を作るために土地へ還元していた。稲作で発生する不要な資源であった藁に利用価値を見出し、雨具や川葺屋根を作って生活の糧とした。陶器である瀬戸物焼も何度も修理して使い続け、瀬戸物屋が売れずに困っていたくらいであったという。そして、屑紙すらも莫大な利益を生む浅草紙へと作り替えてしまった。江戸時代の人々の知恵や創意工夫には、科学技術が発達した現代人の我々ですら、驚かされるものが多々ある。数多くの環境問題・社会問題を抱える私たちが、江戸から見習うべきことは実に多くあるだろう。特に廃棄物や不要資源など、あらゆるものに価値を見出す視点や精神性、そこに付け加えた遊び心は今後、私たちが目指すサスティナブルな社会を実現する上で必要不可欠なものではないかと私は考えている。では、また機会があれば江戸と環境問題について書いてみようと思う。

それまで皆さん、お元気で。


記事制作者 松田 龍之介




画像引用元


・国立国会図書館デジタルコレクション(​​​​国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp

創紙説


参考文献


出典:田中優子 石川英輔(2002年3月15日)『大江戸生活体験事情』講談社


出典:西田知己(2018年8月28日)『実は科学的!? 江戸時代の生活百景』東京堂出版


出典:駒形どぜう 六代目 越後屋助七(2019年7月25日)『江戸文化いろはにほへとーー粋と芸と食と俗を知る愉しみ』亜紀書房



出典:蟻川トモ子(2017年1月24日)『江戸の魚食文化ー川柳を通してー』雄山閣アーカイブス


参考サイトリンク


・江戸−東京都総務局


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